およそ三百年前、元禄時代に、肥前国・佐賀郡扇町の古賀清右衛門が中国人から緞通の技術を習い、「扇町紋氈」と名づけたのが、日本で最も古い絨毯、鍋島緞通です。当時の佐賀藩主鍋島公は、この緞通の精緻で優美な趣を愛し、藩内での生産を奨励し、扶持米をあたえて御用品としました。さらに、一般への販売を禁じ、佐賀藩から幕府や親藩大名への贈り物として用いました。 明治維新以降その禁はとかれ、吉島家が技術を受け継ぎ、研究改善を重ね、今日の鍋島緞通の基礎を築きました。戦時中も技術保存のための製作が認められ、伝統の技を絶やすことなく守り継ぐことができました。 鍋島緞通は、昔ながらの堅型織機を使い、経糸、緯糸、織込糸ともに上質の木綿糸を用いており、高温多湿な日本の気候にふさわしい敷物です。一目一目手堅く織りこんでいるため、時を経て使い込むほどに味わいを増す、手作りの工芸品です。 代表的な図柄は、大輪の牡丹の花が咲いたさまを、蟹がはさみを振り上げた姿にみたてて名付けられた「蟹牡丹」、色合いは、藍、茶、緑の濃淡に、紅、黄土色など鮮やかな色を組み合わせた色使いが好まれます。 昔から、畳敷きの居間に、あるいはくつろいだ茶会の席に、また、祝い事の折りには、大広間に一畳物を十枚・二十枚と敷きつめて使われてきました。 |
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